スペシャルティコーヒー

スペシャルティコーヒーという言葉が生まれてから約40年が経ちますが、それらが一般的に扱われるようになったのはここ10数年、消費者側からある程度認知されるようになったのはここ数年ではないでしょうか。

これまでにも、環境保護や持続可能な社会の実現を目標にした認証コーヒー、あるいは希少性を謳った高付加価値の商品など様々な取り組みがなされてきましたが、スペシャルティコーヒーがそれらと一線を画すのはひとえに官能審査、カッピングという味そのものを評価するシステムが構築されていることでしょう。どんなに優れた生産工程を経て環境保護や安全性に貢献していても、審査員に味ではじかれたモノはスペシャルティとは呼ばれません。質の高い非スペシャルティは多く存在しますが、逆は有り得ないのです。

コーヒーは近代以前のみならず近年まで貧困と切り離せない歴史を辿ってきており、色々と対策がなされてきたはずですが、結局のところ国内であれ国外であれ消費者に対価を高く払ってもらえなければ成り立たないという当然の壁にいつも当たり、環境保護などどんなに有意義な名目があっても一部の富裕層や慈善団体の援助のような形でしか応援ができず限界がありました。世界中の消費者から正当な対価を払ってもらうためには、コーヒー液の味の良さが第一であるというシンプルな道標が提示されることになりました。

その実現のためには「味の共通言語」が必要でした。酸味の質、後味の質、風味を表現するために世界のどこにでもある果実に例える評価方法、そして審査員の育成。それらを生産国から消費国の共通の概念とし、同じ項目が書かれた用紙に記入して評価していきます。それら共通のデータをもとに、これだけ点が低いのだから安く買います、これだけの点を得たのだから高く買ってくださいと交渉がなされ、価格が決められます。おいしさの基準は人それぞれ、という真っ当な価値観は産地を潤わせるという目的には適わなかったわけです。

一方でロースターをはじめコーヒー業界側のこれまでのスペシャルティ宣伝の成果は今ひとつだったかなとも感じています。だいいち、スペシャルティというネーミングにインパクトがない。プレミアムコーヒーや認証コーヒーと何が違うんだという意見はもっともで、味が良いんですよとしか答えられず、今後の売り出し方は大きな課題の一つ。しかしながら「最近、世の中のコーヒーが美味しくなったよね」となんとなく感じていただけるだけでも大きな進歩といえます。